「Vol.7」
撮影機材一つひとつもほぼ手持ちのもので、全く大したものはなかった。
カメラはNikonのD600という中位の一眼レフ。
レンズはNikonの古い単焦点レンズ28mm、35mm、50mm、135mmの4本だけ。三脚、音声レコーダー、勤めている会社から撮影の度にピンマイクを2波借りた。
基本はこれだけで、夜のシーンで2〜3度小さなライトを、そして1カットだけステディカムを借りて使用したぐらいだ。
正直なところ、それ以上のものが必要だとも思わなかった。
もちろん良いカメラで撮ればその分画は良くはなるのだが、それがこの映画に与える影響は微々たるものだと思っていた。
ある程度のもので良い。(多くの場合この映画で最初に評価されるのは画の美しさだったりするのだが)
被写体とカメラ、そこにある光(もしくは闇)。
それで映画は撮れるし、いい画も撮れる。最低人数で撮影する上では、機動力の方が重要だった。車も無しで済むならその方がいい。
実際に冒頭の主人公一人のシーンは、屋外の撮影でも石川理咲子と私の二人だけで撮影された。
大体の場所だけ決めておいて、二人でぶらつきながら相談して、動いてみて、撮ってみる。
そういった撮影の仕方が可能だった。
ある程度の人数がいると、こうは行かない。
そういった方法で映画を撮影することは、まるで映画を撮り始めた頃に戻ったようで、単純に楽しかった。
あの頃の無秩序さや無計画さと似ていたから。
当然ただ似ていただけで、実際は違う。
半即興とでも言えるような撮影をしていく中で、私はぼんやりと考えていた事、その場で考えついた事を伝え、彼女がそれを表現する。
すると必ずそこからは新たな何かが生まれ、別の表現に変わっていく。
そうして確実に、ある種意図的に即興を繰り返し、変化を繰り返し、何かの確信や手応えのようなものが得られる点を探していく。
『探す』という事はこの映画の物語上の大きなテーマの一つだが、答えがない中で、主人公だけでなく我々も何かを探していたのだ。
|
続く