Director’s NOTE:撮影回顧録(Vol.1〜7 )

監督コラム / 撮影回顧録 Vol.1〜7

「Vol.1」

最初に石川理咲子に出会ったのは、
本作にも出演している鴻森久仁男が監督する短編映画の撮影の時だった。

私は撮影監督、彼女は振り付けで参加していたため、撮影中にはそれほど話す機会はなかった様に思う。ゆっくりと話しができたのは、その現場から帰る車中、たまたま席が隣になったから。話した内容はそれほど詳しく憶えていないが、「体を動かす時にどういった事を重要視しているのか」「映画における身体的な動き」という様なことを話していた。

時間にして一時間と少しぐらいだっただろうか。
他ではあまり話す機会がない内容だったこと、そして当時自分が考えていた事に繋がり、それを少し整理できた気になって満足していたが、その日は特にそれ以上の事を考えてはいなかった。

実際に自分が作る映画について彼女に相談したのは、それから暫く経った後の事だった。

その頃の私は、今の一般的な映画のあり方に大きな疑問を持ってた。
リアルさ/現実らしさを求める演技やセリフのあり方、そして物語やキャラクターの要請に従って映画を作るという事に対してだ。実際にありそうな感情の動きや言いそうな台詞。そういったもので構築されるものだけが映画であるように見られている事に、納得できなかった。
リアリズムに終わらない、映画におけるリアリティ、もっと言えば、私の映画にだけのリアリティというものがあるはずだ、と。

ある高名な画家は、「芸術家は世界を変換する変換器だ」と言った。
全くその通りだ。

目の前にある世界を、自分という変換器を介してどの様に提示するのか。それが表現だ。
(上の言葉からは逆の意味も読み取れるが)

では自分が作る映画とはどういうものなのか?
その答えを探して、頭の中で堂々巡りを繰り返していた。

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