Director’s NOTE:撮影回顧録(Vol.1〜7 )

「Vol.3」

私と石川は、まず最初のシーンのテストの様なことを始めた。

「最初のシーン」と言っても、その当時には映画全体を見通すような構成の案や脚本は何も無かった。
人物の設定すらも無い。
そんな状態で我々が行ったのは、室内で歩いたり、止まったり、何か物を手に取ったり、窓の外を眺めたり、そういったなんでもない動作を、何かの感情を仮に設定して撮影してみる事だった。
カメラを向け、彼女が動くのを撮影し、それを見て別の可能性について話し合う。そんな事を繰り返した。
身体表現者でもある彼女は、当然体を動かす事によって何かを表現しようとする。
しかし、私がイメージしていたのは、抑制され、削ぎ落とされた最低限の動きだった。
何度も実践と対話を繰り返し、「動くこと」と「動かないこと」のギリギリのバランスポイントを二人で見付けようとしていた。

彼女にとっては相当なストレスだったのではないか。
何しろ、クラシックバレエを始めた時から身体表現に携わり、今も更なる自由な表現を求めて身体で新たな物を生み出そうとしている人だ。
しかし、そんな事はおくびにも出さず、彼女は先の見えない映画の制作に取り組んでいった。
ひょっとしたら、単にそれが彼女にとって新しい試みだったからかもしれないが、そういった姿勢は、この後この映画を先へ進める力となっていく。

そうして繰り返したテストで、私たちは「この映画において人物がどうあるべきか」という事にのみ明確な答えを得た気がした。
最終的にそこで撮影されたものは、ただ美しかったのだ。
どう動くのか、どう言葉を発するのか、ここで得たそれらの感覚は、この映画の方向性を示す圧倒的な指針となった。
私はそのイメージを元に最初のシーンの脚本を書き始めた。

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